はじめまして、散歩が大好物な猫まるです。若き日の散歩を振り返ってみます。
もくじ
東京駅から本郷までの散歩
2002年8月25日(日曜日)
今年の夏も暑い日々が続いた。猛暑の中の散歩はとても辛い。しばらく散歩を避けていた。8月中旬、季節外れの台風がいくつか通り過ぎ、秋を感じられるようになってきた。夜は肌寒さを感じる程だ。いよいよ街あるきの再開だ!
休養十分、やる気も十分。だが、焦りは禁物、手始めとして、東京駅から本郷まで歩くことにした。
日曜日の八重洲の飲み屋街は閑散としている
八重洲仲通には、飲み屋さんが多く集まっている。日曜日の昼間、通りを歩いている者は少ない。通りに誰も居なくなる瞬間がある。
そんな時、土地や建物が自分の所有物になった気がする。まるで自分の庭にいる感じだ。これこそほんとうの贅沢か。居酒屋の看板を眺めながらさらに歩く。
やがて昭和通りに出た。歩道橋より銀座方面を眺める。遠くに「ぬ利彦」のビルが見える。アド街でも紹介されたお酒の会社だ。旧楓川に架けられた千代田橋を渡る。今では、都心環状線が走っている。
横断歩道を渡り、そのまま路地に入る、東京証券取引所を過ぎると、ビルの谷間にひっそりと神社があった。兜神社である。
確か、近くに池波正太郎が少年時代に勤めていた証券会社があったはずだが・・・・・(※「江戸切絵図散歩」(池波正太郎著)によれば、どうやら兜神社の正面にあるビルとのこと。)
江戸橋を渡り、しばし大通り沿いに歩くと、べったら市の由来が書かれた碑がある。寶田恵比寿神社50mとの案内もある。矢印に従って横道に入ってみる。建物に囲まれた小さな神社があった。東京には、この様な神社や稲荷が多い。
それぞれ、ありがたい御利益があるのだろうが、とても調べきれない。人生は長い、老後の楽しみのひとつに残しておこう。
小伝馬町界隈
さらに進むと、鉄筋コンクリート三階建の古い建物があった。旧十思小学校である。建物の裏は十思公園である。碑文を読む。ここは、時代劇でも有名な小伝馬町の牢屋敷跡とのこと。吉田松陰先生の終焉の地でもある。さすがに、利用している人は少ない。
老夫婦がベンチに仲良く座ってくつろいでいる姿がほほえましい。だが、なんとなく寂しい公園である。一匹の猫だけが私を歓迎してくれた。
岩本町界隈を散策していたら、お玉が池跡の碑を見つけた。説明によると、お玉が池周辺には、江戸時代後期から幕末にかけて多数の文化人が住んでいたとのこと。残念ながら、お玉が池がどの当たりにあったのかはわからないとのこと。
なお、千葉周作の道場跡も近くにあるとのこと。さっそく、探さねば・・・・。あちこち歩き回ったが千葉道場のモニュメントは見つけられなかった(T_T)。
秋葉原界隈
秋葉原界隈を抜け、昌平坂を登り、やがて春日通りにたどり着いた。春日通りに面した建物は、低く簡素なものが多いことに気がついた。唯一、古い教会のみが異様に目立った。
ひょっとしたら道路拡幅の計画があるのかもしれないなと感じた。そうなるとこの建物もいつか取り壊される運命なのか?。
本郷通りは、車の往来が激しく、また、歩道の幅も狭い。そんな歩道を歩行者と自転車がぶつかりながら先を争っている。たまらず、路地へ入る。
ぶらぶら歩いていたら、本郷館を見つけた。木造3階建て、現役の下宿屋さんだ。さらにぶらつくことしばし、ついに本郷菊富士ホテル跡を発見。有名なホテルだったことは知っていたが、詳しくは知らない。
近くには、石川啄木ゆかりの赤心館跡、宮沢賢治の旧居跡、樋口一葉が頻繁に利用していた伊勢屋質店がある。そんな中、とある場所に、樋口一葉が使っていた井戸があった。
奥の階段付近にある木造三階建ての家が魅力的だった。
町の洋食屋さん
今日も、たくさん歩きまわったので、お腹が空いた。どこか下町風の洋食屋が無いものかと探していたら、菊坂にそれを見つけることができた。名前は「キッチンまつば」。
近所に住んでいる人々がひいきにしている様な小さな町の洋食屋さんだった。店内には中年の女性客が二人と、学生風の若者が数人、おっちゃんが一人いた。TVにはナイター中継が映っていた。私は洋食屋の定番であるハンバーグステーキを注文した。
ぼんやりと野球中継を眺めていると、店のおばあちゃんが新聞を持ってきてくれた。こんなサービスは初めてだったので、少々驚いてしてしまった。
やがて出てきたハンバーグの味は私には新鮮なものであった。手作りだからか、既製品に慣らされた私の舌には新しい味であった。言葉で表現するには、もう一度食べてみる他ない。
どうやら私は、この味を表現する為、再度、菊坂を訪問することになりそうだ。果たしてそれは、いつになるのやら。